今度はパラリンピックチームがやってきた!~パート1~
こんにちは!応援隊のネパール担当の中村です。
突然ですが、田村市が2020年東京オリンピックのネパール国のホストタウンということは、ご存知でしょうか??
ホストタウンとは…
2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会開催に向け、スポーツ立国、グローバル化の推進、地域の活性化、観光振興等に資する観点から、参加国・地域との人的・経済的・文化的な相互交流を図る地方公共団体(東京オリンピック・パラリンピック競技大会推進本部ホームページより引用)
となっていて、2018年の10月には、田村市ネパール交流事業としてネパールのマラソン代表候補の合宿を行い、応援隊も運営をサポートしながら、合宿の運営支援や学校交流などを行って、田村市の国際化に貢献をおこなっております。
私も田村に移り住んで早4か月がたち、様々な住民さんと接する機会の中で、ホストタウンやネパール交流事業のこともお話するのですが、まだまだご存知でない住民さんも多いです。これから田村とネパールの関係を市民の方にもお伝えしたいと思い、滞在の裏側などをこうして書かせていただいております。
~その時の様子もブログにしております~
そして、2018年12月17日~19日まで、2度目となる田村市のネパール交流事業として「ネパールパラリンピックチーム合宿」を実施しました。
そして、今回はなんと羽田空港の出迎えと、見送りまで同行をさせていただきましたので、その模様をブログでもお伝えできればと思います。
応援隊が羽田空港に!?
12/17の朝
羽田空港到着ロビーに応援隊ジャンパーを着て待っている人が一人…
なにを隠そう私です。
青ジャンパーが到着するネパール人の目印でしたので、若干はずかしかったものの応援隊ジャンパーを着て、ネパールパラリンピックチームの到着を待つことに…
しばらくすると出てまいりました。
今回、田村市に来訪したのは
シワコティ・オム・ナス ネパールパラリンピック委員(真ん中後列)
ビーシー・バーラット選手(真ん中前列の車いすの方)
チェットリ・アァヤッシュマ選手(左から2番目)
が来られました。
ビーシー・バーラットさんはポリオによる下半身不随ですが、
車いすのレースにでて優勝したり、車いすバスケットボールチームに所属して精力的に活動しています。
チェットリ・アァヤッシュマさんは生まれつき、視野の一部が欠損しておりますが、ガイドランナーと呼ばれる、同伴者を伴ってのレースで優勝した経験があるそうです。
そんな3名ですが、日本には初めてという事で新幹線にも驚いておりました!
田村市に到着後、まずは市役所への表敬訪問。
市役所に到着すると、職員の方が出迎えて下さり、市長室へ
シワコティ氏より、マーダルと呼ばれるネパールの打楽器が贈られると、市長はマーダルを叩きながら、日本ではあまりみられない音色に驚かれていました。
その後、前回もネパールマラソン代表候補が宿泊したスカイパレスときわさんへ移動して、オリエンテーションを行いました。
今回の滞在期間中も、スカイパレスときわさんでは、ネパールマラソン代表候補を受け入れた実績もあって、食事や部屋への移動など苦慮がないように細心の注意を払っていただき、彼らが快適に過ごせるようなサポートをしてくださいました。
翌日から日本での練習や学校交流がいよいよスタートします!
福島パラ陸上競技協会との合同練習
今回、来訪した選手は各自でのトレーニングはしているものの、日本の科学的なトレーニングを行ったことがなく、日本のトレーニング方法の習得を目的に来訪しております。
そこで、福島パラ陸上競技協会の関係者との合同練習を行うこととなりました。
「レーサー(競技用車椅子)はネパールにはなく、初めて見た」というバーラット選手は、目を丸くして輝かせながら私に語ってくれました。
その後、パラ陸上競技協会の方と一緒に試乗をしたり、スラロームを行いました。
一方、アァヤッシュマ選手は
中で準備運動を一緒に行ったり
ハードルを使って、股関節のトレーニングを行い
スタート台の使い方を習っていました。
ただ、「慣れない日本での練習なので疲れやすくて大変」とちょっぴり大変そうに私に語ってくれていました。
「日本の陸上トラックは本当にきれいで走りやすくて、最高」だと語った二選手。
この経験を糧に、東京パラリンピックへのモチベーションをあげて、練習に励んでもらいたいものです。
福島県パラ陸上競技協会のみなさま。お忙しい中ありがとうございました!!
まだまだネパールパラリンピック来訪記は続きます!お楽しみ!!