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田村を創る人たち #2

2016.10.14

「‟頼まれごとは試されごと”です。はじめからできないと言いたくない」

 

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田村市船引町 株式会社 桑原コンクリート工業 代表取締役 桑原義昌さん

 JR船引駅から車を約15分ほど走らせたところに、株式会社桑原コンクリート工業の本社があります。本社の奥には工場があり、作業員の皆さんがコンクリート製品を製造しています。工場の道路を挟んだ向かいには、私たちが日常でなにげなく目にしているU字構や縁石などのコンクリート製品がうずたかく積まれており、製造種類は約300種にも及ぶそう。さらにもう一つの事業所では生コンクリートを製造しています。桑原さんは、社長として会社を支える一方で、震災時には全国の青年会議所の輪を頼りに復興支援に奔走し、田村郡の町興しとして150人規模のイベントも開催しています。活動はアグレッシブに、自分にはシビアに、‟己の道”をどんどん前に突き進んでいくエネルギー溢れる桑原さんにそれらの想いを伺いました。

写真・聞き手=田村市復興応援隊 渡邉 中岡

文・編集=田村市復興応援隊 中岡

1.始まりは小学校4年生、新聞配達で広げた会社の「顔」

2.震災と原発事故、全国の青年会議所の輪を頼りに復興活動へ奔走

3.CUB好き集結でまちおこし「三春藩CUB主総会」

4.基本の考え方は‟頼まれごとは試されごと”

1.始まりは小学校4年生、新聞配達で広げた会社の「顔」

―ご出身は船引町ですか?

桑原さん:私自身は船引出身です。父親は三春町の出身で、桑原家の家に養子に入りました。町の青年会や消防団には、地元の長男ではないという理由で入れず、悔しい思いをしたみたいです。その悔しさをバネにして、「でっかい会社にしてやる!」と意気込んでこの会社を設立しました。

小学校4年生から父親に新聞配達の手伝いを任されて、歩いて100件近く回りました。父親には「大きな声で元気よく挨拶をして地域の人に顔を覚えてもらえ!」と言われていたので、「おはようございます!新聞です!」と元気に挨拶することを心掛けました。そのおかげで私は地域の人々に「コンクリート工業の息子」と顔を覚えてもらえたようです。そこで顔を覚えてもらうことの大切さを学びましたね。

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”コンクリート工業を継ぐ気はなかった”

ー当時ご自身がやりたいことはありましたか?

はい、高校を卒業したら寿司職人になろうと思っていました。でも高校3年生のときに、「就職先を決めたぞ!勉強をする気がないんだったらここに行け!」と突然父親に言われました。でも、料理人の夢は捨てずに、とりあえず父親が決めた東京セメント工業(宮城県)に勤め始めました。

その後、22歳の頃田村に帰ってきて、今度は桑原コンクリート工業のトラック運転手を4年、その後は技術、営業をやりました。その頃に青年会議所に入り、初めて地域のボランティア活動にスタッフとして参加しました。

”人生を変えた言葉「己志」”

26歳のときに、ある言葉に出会いました。

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「心が変れば 行動が変わる」

これを常に自分に言い聞かせています。同じく会社の社長をやっている同級生と会ったときにこの言葉に出会い、これだなと思いました。毎年お正月には、この言葉を書いて「今年も頑張るぞ」とスタートを切っています。

2.震災と原発事故、全国の青年会議所の輪を頼りに復興活動へ奔走

ー震災が起きる前は、青年会議所や会社ではどのような役職に就かれていたのですか?

2009年に青年会議所の理事長になり、会社では専務という立場になっていました。父親はすでに会社にはほとんど来ていなかったので、会社の経営はだいたい任されていました。自分も青年会議所の仕事で外に出ることが増えたので会社にほとんど出られないわけです。その時にうちの取締役が、「理事長になったのだから好きにやってこい」と言ってくれたおかげもあり、自分がいなくても会社がまわるようにしないといけないと、経営者側の考えにだんだんなっていきました。でもその頃から公共事業がだんだん少なくなってきました。材料の物価は上がり、単価が安く良質なものが求められるようになり、コストが合わない状況が何年か続くわけですよ。それでも社員が何とか頑張ってくれ、持ちこたえてくれたときに、東日本大震災が起こるんです。

”東日本大震災と福島第一原発事故”

ー地震が起きたときはどちらにいましたか?

そのときは宮城県にいました。会社の技術職員と4人で行っていたのですが、泉区で震度7でした。技術の者がもともとバスの運転手をしていたので、道を知っていて助かりました。しかしテレビが観られなかったので被害のひどかった仙台空港に向かってしまったり、渋滞や余震にあったり、家が崩れていたり。何とか夜中に会社に戻ることができましたが、うちのコンクリート製品は倒れていてひどい状態でした。次の日、社員は全員出勤してくれました。片付けを始めたところで、福島第一原発が爆発するわけですよ。

社員全員の緊急連絡先を確認して、落ち着いたら連絡をするから避難するもよし、残るもよし、とにかく今日は帰りましょうと指示を出しました。屋内待機命令が出ていたので、私自身も家族で実家に帰ってきて、窓も開けずにじっとしていました。

テレビを観たら、田村市の体育館に1500人もの人が避難しているのを知り、ボランティアに駆けつけました。青年会議所のネットワークを使って色々な支援物資を全国から送ってもらい、田村市の総合体育館で3日間活動しました。主に浜通りから避難してきた方々が入っており、1500斤のパンをdsc_7652配りました。ここから私の復興支援の人生が始まります。

まず、青年会議所の全国の皆さんから14トン車で3台分の米、1台分のおむつ、何十台分の水が会社と三春の知り合いのところに届きました。田村市役所がまわりきれないグループホームや幼稚園で欲しいものをすべてチェックし、地元の青年会議所のメンバーで手分けしてそれらの物資を配ってまわりました。さらに、避難所で炊き出しを行ったり、全国からいただいた数多くのお花の苗木や種・こいのぼり・絵本を田村市や三春町にて提供させていただきました。全国の青年会議所からもたくさんの仲間が来てくれ、手伝ってくれました。そのようにして、3月~6月は駆け抜けるように様々な支援活動を行いました。

そのような活動を行っていく中で青年会議所の復興支援委員会というものに所属をするようになり、運営幹事として、日本の復興関係者の方140名を対象にボランティア指導や講演などを行いました。1日600人のボランティアが来dsc_7633たときに1時間でどう捌くかという内容のマニュアルを作成し、大学生に引き継いでいきました。京都の福知山や、最近災害のあった熊本にも行きました。新潟県長岡市で防災の講師も務めていました。当時の経験を活かしてレクチャーを頼まれることはいまだにありますね。

.CUB好き集結でまちおこし「三春藩CUB主総会」

ー「三春藩CUB主総会」というイベント名には何か由来はあるのですか?

田村でやりたかったのですが、CUBのイベントができるような場所が見つからず、三春でやらせていただくことになりました。でも私自身はもともと田村の人間なので、田村の応援もしたい。昔田村地域も入っていた「三春藩」がいいかもしれない、という思いつきでした。CUBは昔から農業用として使われていたので、地域性にも合っています。そして、総会は「総会」「走会」「爽快」をかけています。20160526105151c4es

ーどういったきっかけでこのイベントを始めたのですか?

もともと、私自身バイクが好きなので、一昨年に開催された安達太良のCUBのイベントに参加しました。バイクの有名メーカーの社長に「CUBでイベントをやってみたいんです」という話をすると、半年後くらいにその方から「やらないの?」という連絡がきました。そこから企画書を1週間で考えました。ただ集まるだけではなく、我々ライダーができる町興しってなんだろうと、参加者の気持ちになって考えたときに、自分だったらその地のおいしいものを食べたいと思う。それに、地元のものを用意すれば、地元を知ってもらう機会になりますよね。県内外の人が楽しめて地域を知ってもらえるようなイベントにしたいと思いました。CUBに乗るライダーは大きいバイクにも乗る人が結構います。なので、「今度はでっかいバイクでツーリング行こうぜ!」と言ってもらえるようなおもてなしがしたい。CUBで来てもらって、地域のおいしいものを食べてもらって、地域の景観を楽しんでもらう。そういうイベントにしたいと思いました。

三春藩CUB主総会の第1、2回共に約150名の方々が全国から参加してくれました。中には、まだ中学生でCUBに乗れないので、自転車にCUBの部品を取り付けたという男の子なども来てくれましたね。地元の知り合いに声をかけて、14店舗ほど飲食や地元の物産を出店してもらいました。イベントの様子はバイク雑誌に取り上げていただきました。

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このイベントは多くの方のご協力があり成り立ちました。郡山の学生には当日運営のお手伝いを、企業の皆さんには協賛金のご協力を、三春ダムにはダム周辺をCUBで走る許可をいただき、そして三春町の町長には場所の提供や運営面での全面的なご協力をしていただきました。田村市・小野町からはパンフレットを無償提供していただくなどのご協力と後援をいただきました。

そして私は、こういうイベントを開催する人材を育てていきたいんです。自分がいなくとも、色んなところでこういったイベントを開催していってほしい。お金がなくてもできるんだというところを見せたいんです。そして、こういうイベントで大事なのは、あえて最後までやりきらないこと。「あ~やりきった~」というところで終わらせてしまうと来年やる気がなくなってしまう。毎年新しい風を入れて、予算を同じにして、イベントを作る方も参加する方も飽きないようにしていかないとこういうイベントは続かないんです。もちろん、来年もやるつもりです。

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4.基本の考え方は”頼まれごとは試されごと”

自分の基本の考え方は、「頼まれごとは試されごと」です。できない人にこれお願いとは頼まないし、少しでもできると思うから頼むんです。だからこそ、頼まれるということはやれるかどうか試されているということ。断ればそこで終わりで、今後そのことに関して頼まれることはない。できるできないではなく、やることが一番。そうすることによって、会社は信頼を得ていくわけです。

ー最後に、今後何かやりたいと思っていることはありますか?

ライダーズピットです。ライダーがツーリングの合間に地域の飲食店を楽しめるように地図を作りたいと思っています。それから自分年表というものを作っているのですが、55歳には会社を定年退職をして居酒屋を開きたいと思っています。高校生のときに持っていた料理人になるという夢を、そこで実現させたいんです。

 

 

スタッフ後日談

【渡邉】いや~桑原さんはエネルギッシュな方でしたね!

【中岡】仕事も趣味も、全力投球!

【渡邉】何にでも挑戦する姿勢をお手本にしたいですね!

【中岡】じゃあ、今日からスクワット100回やります!(体力増強のため)

【渡邉】そういうこと・・・?


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