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「私だからできる」 復興女子小林特集(福島民報)第二弾!

こんにちは、荒井です。

3日連続で福島民報の1面を飾っている我らが田村市復興応援隊の小林の記事のうち、2日目の分を掲載します!

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▲1月4日(月)の記事

 

福島民報のホームページからも記事を閲覧できます。

念のため、下記に記事の全文を記載します。

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平成23年3月11日、東日本大震災。心が大きく、暗く揺れた。

田村市復興応援隊の小林奈保子(28)は当時、求職中だった。友人と同居していた郡山市八山田のマンションは外壁にひびが走り、室内には窓ガラスが散乱した。最低限の着替えを持ち出し、別の友人宅に身を寄せた。

田村市常葉町にある実家から東に35キロの東京電力福島第一原発の状況は緊迫していた。不安が募り、父の広(56)に連絡を取った。「当分は帰らなくていい」

放射線の影響はどこまで及ぶのか。友人宅に引きこもり、インターネットで線量を追う日々が続く。

 

小林は田村高から福島市の桜の聖母短大に進んだ。教職を志していたが、ボランティアの授業を機に地域づくりに携わるNPO団体の関係者と交流を深めた。

町おこしや社会活動をさらに学ぼうと、卒業後に福島大行政政策学類に編入した。まちづくりサークルの活動、岩手・宮城内陸地震に伴うボランティアにのめり込んだ。ゼミで指導した教授の鈴木典夫(54)は「物おじしない子で、社会問題を熱心に学ぶ姿が印象的だった」と語る。

しかし、社会人となり、その情熱はつまずく。福島市のまちづくり会社と郡山市のNPO法人に勤めたが、いずれも長続きしなかった。どのように資金を集め、事業を企画すればいいのか皆目見当がつかない。「大学での経験があれば社会の役に立てるという『おごり』があった」と振り返る。

失意の日々に原発事故が追い打ちを掛けた。

 

「東京都内で開く復興支援のイベントで、被災地の現状を説明してほしい」。原発事故から1カ月が過ぎたころ、知人の頼みを引き受けた。

「今、古里は…」。集まった都民を前に、語り始めた。止まっていた心の時計が再び動き始めた瞬間。人と向き合う大切さをあらためて感じ、故郷への思いを新たにした。

田村市復興応援隊が動きだすと知ったのは、それから2年後の25年夏だ。「奈保子ならできるよ」。学生時代の頑張りを知るNPO関係者から熱心に説得された。挫折の苦い記憶がよみがえったが、復興がなかなか前に進まない古里への思いが不安に勝った。

「田村で育った私だから、できる仕事がある」。勤めていた食品宅配会社を去った。(文中敬称略)

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既に続々と反響が寄せられています。ありがとうございます。やはりメディアの効果は絶大ですね。

明日も楽しみにしていてください!

 


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