今度はパラリンピックチームがやってきた!~パート3~
こんにちは!応援隊のネパール担当の中村です。
2018年12月17日~19日まで、2度目となる田村市のネパール交流事業として「ネパールパラリンピックチーム合宿」を実施しました。
今回はその時の帯同記の第三弾です!
その時のこぼれ話や、一緒に帯同していたからこそ分かった裏話などをお話したいと思います。
市民の方が、車いすを寄贈!?
車いすバスケと、車いすレースの選手であるビーシー・バーラットさん
私も滞在中にずっと車いすを押していたのですが、ネパールの車いすは日本のと違い、小回りがあまり効かず重いのであります。
しかもネパールは舗装路がそれほどなく、未舗装路で土の道を車いすを押していかなければいけないので、日本の身障者よりも苦労されています。
それを聞きつけて、なんと市民の方が車いすを寄贈したいと申し出てくださいました!
車いすのセッティングを行っているところ
私もこんな簡単に車いすの車輪が外せるとは知りませんでした。
中古とはいえ、ネパールでは考えられないくらい軽い車いすに乗ってご満悦
贈呈の場面に立ち会った本田市長にネパールの帽子(トピ)を進呈しているところ
ネパール人お決まりのセルフィー(自撮り)
最後に、提供してくださった市民の方と一枚。
この車いす寄贈は、本当に事前に予定にはなく急遽決まったイベントなのですが、これこそが真の国際交流なのだと思っております。こうした小さな国際交流が積み重なって、ゆくゆくは「外国人も友達!」みたいな環境が田村でも生まれればすごく素敵なことなのだと思います。
ちなみに車いすの寄贈をうけたビーシー・バーラットさんは「軽くて良い車いすをもらえて記念になりました。ネパールの路面は良くなくて、この車いすもすぐに壊れちゃうので、なるべく屋内で乗るようにします!」と笑顔で語っていました。
日本の公共交通機関の障害者対応に感動!!
今回はネパールパラリンピックチームの羽田空港への送迎と見送りも、応援隊の方でお手伝いさせてもらいました。
健常者ですと、これまで知ることが無かった事なのですが、JRを始め公共交通機関のバリアフリーや障害者対応のすごさを実感させられました。
早朝に羽田空港に到着後、東京駅まで向かわなければならなかったのですが、東京の通勤ラッシュ時に障害者2名を引率するというのは、かなり大変なことなのではないかと、あらかじめ予想されました。
しかし、そこは百戦錬磨のJRや東京モノレールの皆様
始発駅で経路と到着駅を言うだけで、ほぼ駅員の方が付き添ってくださって、エスコートされながら乗り換えを行うことが出来ました。ですので心配がなくて本当に良かったと思っております。
本当に連携が素晴らしくて、鉄道会社が違っても連絡が途切れずにできていたことが何より感動しました。ただ、エレベーターやスロープの位置がどうしても遠い位置にあったりして、「障害者は余計に歩かされて大変だ」という視点も見えてまいりました。
それでも日本の新幹線の快適さや静かなところに驚いており、沢山のものを感じてもらえたのではないかと思います。
いよいよ、お別れの時!
わずか3日の滞在でしたので、本当に少ししか滞在することができませんでしたが、様々な行事を通じてネパールの文化やパラスポーツを普及していってくれたネパールパラリンピック選手達
障害者。そして外国人ということもあり、迎える田村市関係者はどうなることか不安な面も多かったのですが、無事に二度目の交流事業を終えることができ、田村市関係者一同、外国人や障害者対応に自信を持てたのではないかと思います。
これからも、外国人や障害者に優しい田村市を目指して、応援隊も微力ながら応援してまいりますので、今後も田村市ネパール交流事業にご期待を頂ければと思います。
ここまでは、ネパール担当の中村がお届けしました!